B・H・チェンバレン”Things Japanese”『日本事物誌』書誌

神﨑順一氏(天理図書館司書)
1959年高知県に生まれる。天理図書館司書。天理大学文学部宗教学科卒業。論文・著書に「翻刻 大槻玄沢著『伊祇利須疑問 草稿』: 天理図書館所蔵日欧交渉資料(10)」(ビブリア 第136号, 2011年)、「幕末長崎のオランダ語書復刻事情」(日本印刷学会誌 第45巻第4号, 2008年)、共著『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』(近代印刷活字文化保存会, 2003年, 第4回ゲスナー賞受賞)、「天理図書館所蔵資料を中心とした西洋古版日本地図目録1528-1800」(ビブリア 第101号, 1994年)など。

はじめに

明治六(1873)年五月二十九日,22才のB・H・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850年10月18日 – 1935年2月15日. 以下,チェンバレンという)は,横浜港に到着した。
チェンバレンは,家庭の事情と健康の悪化が障碍となりオックスフォード大学で学位を取ることが出来なかった。ロンドンのベアリングス銀行に就職したが,勤勉さが仇となり体を壊して退職し,冬は親戚のいるマルタ島で過ごし,イタリア,ギリシア,スイス,ドイツへ療養の旅に出た。
日本へ来たのも,明治五(1872)年十一月に帆船による病気治療の長旅の航海に出たからで,オーストラリア,上海,長崎を経て,この日横浜にやって来たのである。

チェンバレンは,それ以上旅を続けず,東京芝西久保広町の青龍寺に居を構えた。旧浜松藩士荒木蕃(しげる)に英語を教え,荒木からは,日本語と古今集を学び,能を鑑賞するようになる。その後,荒木の紹介によって,天璋院に仕えていた女流歌人橘東世子(とせこ)から和歌を学び,江戸時代後期の国学者橘守部の遺稿をも借覧している(1)。旧幕臣鈴木庸正(2)には,『万葉集』『枕草子』の教えを受け,日本語への学問的な関心を深め,狂言や謡曲についても研究を広げていった。そして,ヴィクトリア朝を代表する教養雑誌の一つ「コーンヒル・マガジン(Cornhill Magazine)」や,チェンバレン来日の前年に発足して間もない日本アジア協会(Asiatic Society of Japan)発行の「アジア協会紀要(Transactions of the Asiatic Society of Japan)」に日本の古語に関する論文をいくつか発表した。

また,来日翌年の明治七(1874)年から同十五(1882)年までの間,東京築地の海軍兵学寮(明治九年に海軍兵学校と改称)で英学(英語)を教えた。明治十九(1886)年からは,帝國大學文科大學第二科和文學科と,新設になったばかりの同第四科博言學科(後の言語学科)の教師に就任している。日本語学と博言学を講じ,同二十三(1890)年まで籍を置いた。
来日した西洋人達は,チェンバレンに日本についての様々な質問を投げかけたようである。”Things Japanese”『日本事物誌』(以下,『日本事物誌』という)第5版の序論でチェンバレンは,「著者は日本のことについて,常によく質問を受ける。そこで,その返事を辞書の形にして―単語の辞書ではなくて事物の辞書〔事典〕という形にして―本書をまとめたのである」(3)と記している。
チェンバレンの名著といわれる『日本事物誌』は,「アジア協会紀要」に掲載されたチェンバレン自身の論考はもとより,日本に関する他の研究者の論考などを大いに参考にして,明治二十三(1890)年に出版された日本についての小百科事典である。

チェンバレンは,版を重ねるごとに,時代とともに移りゆく日本について,記事の書き換えと加除を行った。当初140項目408頁であった『日本事物誌』は,最後の第6版では,190項目584頁と大部なものとなっている。チェンバレンは,「そっくりそのまま残したものもあれば,本文を少し変更したり,附け加えたりすることによって現代的にしたものもある。一方,統計はできるだけもっとも新しいものに改めた」と記し,「幾つかの場合には,古い記事は変更せずにそのまま残し,一九二九年〔昭和四年〕の日附で新しい一節を加えた。これは,当時と現代との差異を明瞭にあらわすためである。読者は,日本そのものとともに,一九世紀から二〇世紀半ばに向って,次第に移り変るのを感ずるであろう」(4)とも記している。
新しい版の準備は,チェンバレンが亡くなる少し前まで続けられた。第6版が出版されたのは,チェンバレン逝去4年後の昭和十五(1939)年のことである。

本稿では,『日本事物誌』初版から第6版までの書誌を天理図書館所蔵本から述べる。
書誌毎の記載内容は,

① タイトル / 編著者等
② 版情報
③ 出版情報
④ 形態情報
⑤ 注記

である。

以下、初版から第6版まで各版の書誌と解説。


(1) 佐佐木信綱「人としてのチェンバレン先生」『バジル・ホオル・チェンバレン先生追悼記念録』國際文化振興會 昭和十年 84頁

(2) 鈴木庸生は,チェンバレン最初の著作『英語變格一覧』(明治十二(1879)年四月廿五日出版)の出版人として鈴木忠蔵とともに名前が挙がっている。因みに,同書序文は,「友人 海舟勝安芳誌」とあるように,勝海舟が誌している。

(3) チェンバレン著,高梨健吉訳『日本事物誌』1 東京 平凡社 昭和44年1月25日 (東洋文庫;131) 8頁

(4) チェンバレン著,高梨健吉訳,前掲『日本事物誌』1 6-7頁