オックスフォード古本修業 Part X

中島俊郎 氏(甲南大学文学部教授)
1949年に生まれる。甲南大学大学院人文科学博士課程英文学専攻単位取得。オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ研究員(1997-1998)。現在、甲南大学文学部教授。著書に『イギリス的風景—教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版)、『近代東アジア文化とプロテスタント宣教師』(共著、国際日本文化研究センター)、Lewis Carroll et les mythologies de l'enfance (共著、 Presses universitaires de Rennes)、編訳書キース・トマス『歴史と文学—近代イギリス史論集』(みすず書房)、翻刻書ビートン夫妻編『英国婦人家庭画報—1852-56年 全4巻』、マリオ・プラーツ編『イギリス文化・文学論集—歴史と芸術の饗宴 全10巻』(ユーリカプレス)など。最近の著作に本HPの内容を発展させた『オックスフォード古書修行』(NTT出版)がある。また2013年に刊行した翻訳書、ルーシー・ワースリー『暮らしのイギリス史』(NTT出版)は書評で「カルチャースタディーズの必読書」とうたわれた。近刊には同じルーシー・ワースリーによる異色作『イギリス風殺人事件の愉しみ方』(NTT出版)を翻訳刊行予定である。

心おどる目録

図版1 心おどる目録


秋の到来とともに、古書シーズンに入るのは洋の東西を問わずうれしい。歳時記には季語として「古書」という言葉は載っているのだろうか。時の果実である本が満載された、手元には魅力あふれる目録が届く。瀟洒な目録を1ページずつ繰っていく愉しみは何物にも代えがたい。片手にペンをもち、目当ての品が記されている番号をチェックし、最終決断をくだす。一喜一憂。愛書家の醍醐味である。すでに頭には全身の血が集結してしまい、価格などどうでもよくなっている。

 

図版2 雄松堂稀覯書目録 383号

図版2 雄松堂稀覯書目録 383号


目録は毎日のようにポストに投げ込まれる。昨今は目録もネット配信されるのだが、やはり紙媒体は捨てがたい。冊子の厚ぼったい重量感、記述の工夫、夜空の星座のように広がる本の世界。心華やぐ瞬間だ。今年の雄松堂の目録は南蛮船で運ばれてきた珊瑚(さんご)のようである。なにしろ世界三大美本がすべてそろい、掲載されているのだから――「往時紅毛国の貿易船、長崎の互市場に来るや、邦人伊太利亜珊瑚珠の美と印度沙羅の奇に驚き…」(永井荷風『珊瑚集』「序」)

 

図版3 ダブズ・プレス『欽定英訳聖書』

図版3 ダブズ・プレス『欽定英訳聖書』


アシュンデン・プレスの『ダンテ著作集』、ダヴズ・プレスの『欽定英訳聖書』そしてケルムソコット・プレスの『チョーサー著作集』――眼福以外の何ものでもない。なかでもダヴズ・プレスの『聖書』をみつめていれば、ひとつの思いが駆け巡っていく。それは本と本がつむぎだすひとつの夢であろうか。夢は追い求められる。世界の幾多のプライヴェイト・プレスがこの星を目標に到達しようとして、自分の書物世界を構築しようとしたであろうか。そして私には、ケルムスコット・プレス、ダヴズ・プレス、アシュンデン・プレスという系譜は、当然、モリス、コブデン=サンダースン 、ホーンビーという出版人へとつながっていき、「非個性を個性とする」美意識が浮きあがってくる。

 

図版4 マリアンヌ・ティッドコーム『ダヴズ・プレス』(2002年)

図版4 マリアンヌ・ティッドコーム『ダヴズ・プレス』(2002年)


最近、大英博物館からダヴズ・プレスに関する詳細な書誌をかねた興味深い研究書が上梓された。眺めていて読んでいて飽きるところがない。そこにはトマス・ジェイムズ・コブデン=サンダースンとエミリー・ウォーカーという本を愛するふたりの人間が躍動している。「私はコブデン=サンダースンの仕事をモリスのそれよりも高く評価する。出版のほまれは彼のものであろう」(「コブデン=サンダスン の装幀―完成したひとつの美しさ」)と壽岳文章先生が記したのはすでに何年前になるであろうか。

 

図版5 『向日庵消息』第4号(昭和9年8月発行)

図版5 『向日庵消息』第4号(昭和9年8月発行)


先生はダヴズ・プレスの営為を通じて日本にも「美しい本」を再現させたかったのであろう。先生は向日庵という小さな製本工房を起こし、愛書家によびかけ、試行錯誤をくりかえしながら美しい本を15点以上も刊行された。両者を結ぶ『向日庵消息』には「この消息を求められる人も段々増え、今では五百近くになりました」といった文字が躍っている。新刊の内容見本が一葉付いているのも、購入できなかった人にとっては何よりも慰めになったであろう。それにしても昭和9年には驚くほど数多くの愛書家がいたことが判明する。野田書房、江川書店などの出版活動にみられる戦前の愛書ブームの実態はまだ解明されてはいない。目指すところは異なったが、向日庵の私家版もこうした動向の中にあった。

 

図版6 コブデン=サンダースン『日記』全2巻(19年)

図版6 コブデン=サンダースン『日記』全2巻(19年)


先生は書物人としてのコブデン=サンダースンを誰よりも尊敬されていた。先生が書物についてお書きになった言葉には、コブデン=サンダースンの『日記』のなかで散見される本をめぐる思念、意見と大いなる共鳴を認めることができる。なかでもモリスの系譜につながるコブデン=サンダースンの「美しい本」にまつわる見解には深く心酔された。ご自分でも理想の本という夢を実現したいという想いに駆られたのも無理はない。

 

図版7 『書物』(家蔵版、昭和11年)

図版7 『書物』(家蔵版、昭和11年)


先生が渾身の力を傾注された『書物』はまさにそうした夢を結実させた本である。「向日庵本の中から会心の作一つを選べ、とならばこの本。ほかに言うことなし」(『太陽』「本の美」特集)とあっさりともいえるほど、ご自身で裁決を下されてしまっている。でも、これは自他ともに許す評価であろう。本書にはコブデン=サンダースンの「完全な書物」が翻訳され収録されている。1900年にダヴズ・プレスから300部限定版で出されたもの ( The Ideal Book or Book Beautiful ) を苦心の末、手に入れて訳されたものである。この入手過程を先生からぜひとも拝聴しておきたかったがついに果たせないままとなった。

 

図版8 エミリー・ウォーカーの肖像

図版8 エミリー・ウォーカーの肖像


ダヴズ・プレスを考える上で、むろんコブデン=サンダースンを欠くことができないが、同等な重みをもつウォーカーの存在を忘れてはならない。「ウィリアム・モリスの協労者」と壽岳先生も評価されているように、ウォーカーは看過できない。ゲラ見本、作業工程表、工房の写真まで付録についた、ケンブリッジ大学出版局から限定版で出版された『エミリー・ウォーカーの業績』(1973)は、モリス、コブデン=サンダースンに連なる系譜を詳述した好文字となっている。人と人はつながっていく。そして「本は本を呼ぶ」という言葉が胸にひびく。