Vol.45 “キューリー夫人自筆実験室ノート”入手の経緯

古書にまつわる思い出話
この欄では、昨年まで2ヶ月に一度、種々な報告や意見を書かせていただき、皆様からご意見やご提案をいただいてまいりましたが、今年は“本を扱うことの楽しさ、厳しさ”等、過去、私自身が体験した古書にまつわる思い出の中から、雑誌や紀要に掲載したものを転載します。
 

“キューリー夫人自筆実験室ノート”入手の経緯

Marie Curie, 1867-1934., Laboratory notebook., Paris, 1919-1933, 23cm

アメリカ、ロサンゼルスの西の端でハリウッドに近い所を南北に走っているラ・シェネガという大通りがある。特にこの通りの北の端あたり一帯は美術、骨董、古家具店や小さなオークション屋、そしてロスの食通がたむろする一流のレストランが競っているので有名な所である。
 
ノース・ラ・シェネガ通り885番地。オーナーが10年ほど前にお亡くなりになって、今は跡形もないが、そこにあの有名なザイトリン書店があった。レンガ色で塗った山小屋のような建物で、私達はそこを“レッドバーン”と呼んで親しんできた。古書店関係者は勿論、愛書家、コレクター、図書館や美術館の人達もロスに行った時は必ずと言っていいほど“レッドバーン”に寄るのが習慣であった。ご主人のジェーク・ザイトリンに会うのが何と楽しかったことか、今でもついこの間のように思い出され、1980年代、私にとっても貴重な経験の一つになっている。
ジェークは今世紀初めにユダヤ系の移住者としてアメリカに来てから86才で亡くなるまで、種々と苦労をしたらしいが、いつも明るく、持ち前の本好きと粘り強さで多くの仲間を作ってきた。一方で、カリフォルニアブームの中で、戦前戦後、著名なコレクターから愛されていくつかの大コレクション作りに古書業者として重要な役割りを果たしてきた。80年代から90年代にかけてオークション市場で話題を投げたハニーマンやプリンスメタル、そして最近のノーマン・セール等に出品されたものは、在りし日のジェークが納めたものが多いと聞くし、特に彼の晩年、私は一番の買主だと彼から言われたこともあった。又、ジェークはたくさんの若い人達に強い影響を与えてきたので、今、世界中のトップクラスの業者は彼の残したもう一つの遺産かもしれない。私自身も彼の子分の一人と自負している。
 
“キューリー夫人自筆実験室ノート”の入手は、もう20年近くも前なのではっきりした記憶ではないが、ある日、私はいつものように“レッドバーン”にいた。いつもロスへ着くと空港で車を借りてまっすぐジェークのところへ直行する。30分位である。そこでいつも決まった机を前にし、あたかも自分の会社にいるような態度で勝手に電話を使って滞在中のアポイントを取り始め、それが一段落すると、「ヤー」とジェークに挨拶する。そんな時、店の真ん中にある大きなテーブルのところで、フランス人らしい客がジェークと話しているのが見えた。ジェークが手招きしたので、その会話の中に入っていった。名前は忘れたが、その客はジェークのフランスの親しい知人の紹介状を持っていたと記憶している。机の上には4,5冊の古書が置いてあった。何でも彼は一月ほど前にロスに仕事の関係で移ってきて、新しく家を買うので親譲りの古書を信用のあるジェークに評価してもらって、場合によっては売っても、と考えているらしかった。
 
その中の1冊に“キューリー夫人自筆実験室ノート”があった。それがまさしく本人の筆跡であることは科学史文献の権威であるジェークにはすぐに判ったのだろう。「これはミツオが買っておきなさい。日本のお客さんが喜ぶと思う、すごい物だ。」その時はあまり値段の話などせず、即座に「イエス」と答えた。同時に、ひょっとするとこれが研究室か実験室にあったとすると、放射能の反応が出るかもしれないと即座に考えた。勿論、古書店にそんな測定器があるはずは無い。そのノートは私が帰路、トランクの中に大事に入れて日本に持って帰った。数日後、明星大学の図書館に理工学部の先生に来ていただいてガイガー測定器でテストしたところ、強い放射能反応があった。その時の感激を忘れることができない。このことは当時、読売新聞の記事となり、話題を呼んだ。
 

この実験ノートはクロス装で製本されており、表紙には、「1919-1933」軒祭がある。右上隅に「M. Curie」の記名が見られる。

この実験ノートはクロス装で製本されており、表紙には、「1919-1933」軒祭がある。右上隅に「M. Curie」の記名が見られる。


見返しには実験結果の記録が記されている。

見返しには実験結果の記録が記されている。


 
(以上1990年記)
 
いろいろな幸運が重なり、日本に持ち帰ったこのノートは、今、明星大学図書館に大切に保管されているが、私は、科学史研究上の遺産として特別な意義をもっているこの貴重書の入手に関わったことを感謝している。
 
そのジェークも20年位前にお亡くなりになり、その“レッドバーン”も今は無いが、ラ・シェネガ通りを通るたびに懐かしく当時を思い出している。
 
2006年2月