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黒船来航絵巻 金海奇観

原本所蔵 早稲田大学図書館(大槻家旧蔵)

大槻磐渓編 鍬形赤子ほか画 嘉永7年(1854)9月頃成立
全2軸(乾巻:30×947cm 坤巻:30×1017cm)箱入

解説:岩下哲典(明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部・大学院応用言語学研究科教授)

本体280,000円+税 ISBN 978-4-8419-0662-2

金海奇観

 

『金海奇観』について

 嘉永7年(1854)、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊司令官ペリーは再び浦賀沖に姿を現し金沢沖に滞舶した。世の中が騒然とするなか、仙台藩主の命により、大槻磐渓は横浜の応接所に赴き、ペリー一行の様子をつぶさに観察、報告した。その写しが本絵巻であると思われる。なお、「金海」とは「金川(=神奈川)の海」の意である。
 巻は乾、坤の二軸に分かれ、ペリーらの肖像はもちろん、ペリー艦隊が碇泊している本牧沖の景観、蒸気船と帆船の図、榴弾砲、乗組員の服装、蒸気機関車と客車、線路、コルト拳銃、携帯火薬入れ瓶、鉛弾の鋳型、電信機などが精密に描かれている。鍬形赤子、磐渓、関藍梁、高川文荃によるものもある。
 乾の巻の題字は河田迪斎によるもので、跋に代えて磐渓がペリー艦隊の通訳である中国人羅森に贈った詩が添えられている。坤の巻の末尾には当時の事を詠んだ関藍梁の詩二首がある。
 当時多くの人々が神奈川に赴き、見聞をもとにこの事件を報じ、特にペリーの肖像は様々なものが残されているが、本絵巻は水彩で写実的に描かれているのが特色である。
 大槻磐渓は江戸蘭学界の重鎮大槻玄沢の子息。仙台藩の儒者で、蘭学修業を志したことがあり、また西洋砲術を学んでいた。嘉永6年(1853)のペリー艦隊初回の来航の直後には幕府に上書して開国論を主張した。鍬形赤子は「江戸一目図屏風」を描いた鍬形蕙斎の子で、津山藩の御用絵師。関藍梁は磐渓の友人で膳所藩の儒者、高川文荃は松代藩医の養子で絵師でもあり、この事件を扱った他の絵巻も残している。
 日本近世・近代史、美術史、郷土史研究に必備の資料であり、また図書館・博物館等の展示にも十分なものといえよう。


黒船、機関車、電信機 —描かれた160年前の最先端技術

黒船

機関車◀【機関車】

河田八之助(迪斎)が乗り、「火発して機活き、筒、煙を噴き、輪、皆転じ、迅速飛ぶが如く、旋転数匝極めて快し」と日記に記した蒸気機関車。河田はこの時締結された日米和親条約の草案起草者の一人であり、「金海奇観」の題字を揮毫している。後にこの機関車は江戸に送られ、江川太郎左衛門が運転。開成所から神戸海軍操練所に移されたが、元治元年(1864)の火災によって焼失し、現存しない。
『ペリー日本遠征日記』には「この美しい小さな模型の機械は、円環状の線路をぐるぐる回り、かん高い汽笛の音で大気を満たしたが、この行事は、呼び集められた莫大な数の人びとの群れを驚かせ、かつ喜ばせた」とある。

電信機【電信機】▶

エンボッシング・モールス電信機。米国大統領フィルモアからの献上品の一つ。送信側の電信機でモールス符号を打つと、受信側の電信機の紙テープがエンボス(凹凸)されて信号を送ることができる。ペリーは電線や電池など装置一式を持参し、横浜の応接所から約1キロの間に電線を架して通信実験を行った。実物は平成9(1997)年に国の重要文化財に指定され、郵政博物館に収蔵されている。
『ペリー日本遠征随行記』には、日本人通訳の手を借りて日本語を送信し、日本人が「この実験に満足し、どんな作用をする仕組なのかわからないなりにも、おおよその概念は理解した風である」と記されている。

 

ペリー一行を実見した儒者らの原画を元にした迫真の描写

ペリー一行

 

「黒船来航絵巻」の元祖

加藤祐三

 「金海奇観」(早稲田大学図書館所蔵)は、仙台藩儒者・大槻磐渓が編纂した絵巻で、いわゆる「黒船来航絵巻」の元祖と言える。黒船来航に備える警備の諸藩が、絵師を総動員して克明に記録した図像を収めている。
 本絵巻の作成にかかわった人物は、題字を揮毫した幕府儒者林家の家塾長・河田迪斎をはじめ、松代藩医・高川文筌、膳所藩儒者・関藍梁、津山藩御用絵師・鍬形蕙斎の子である赤子等で、儒者のネットワークが光る。
 絵巻の乾(上)巻をほどくと、まず目に入るのが横浜村応接所と岬の突端に「本牧」の文字、ついで手前に「神奈川宿」の文字、そして横列のペリー艦隊9隻、その艦船名一覧である。さらに左へ進むと、応接所の見取図、ポーハタン号(第二回来航時のペリー旗艦)ほか軍船5隻(なぜかロシア船が1隻混入)の拡大図、コルト銃の分解図…。ついで坤(下)巻ではホイッスル砲、ペリーほかの肖像…と展開する。
 ペリー艦隊側も、画家ハイネと銀板写真のカメラマンでもある画家のブラウンJr.による写生画(記録画)を多く残している。これら日米双方の絵画・図像は、文献史料だけでは分かりにくい歴史の具体像をより明確にする。拙著『幕末外交と開国』(講談社学術文庫、2012年)等でも活用させてもらった。
 林大学頭(復斎)と米国東インド艦隊司令長官ペリーを代表とする日米双方は、真摯な交渉により発砲交戦を避け、横浜村で日本史上初の条約、日米和親条約を平和裏に締結、今年160年を迎えた。
 それを機に「金海奇観」の忠実な復刻を企図した雄松堂と、的確な解説を寄せた岩下哲典明海大学教授の労を多としたい。

▼【応接所見取図】

応接所見取図