80セット限定 好評発売中 完結

雄松堂書店出版事業部国語・国文学>複刻版「歌舞伎」

文学者の手になる最初の演劇雑誌──明治から大正期の演劇史を語る貴重な記録

日本のリトルマガジン」第5弾

複刻版 歌舞伎

「歌舞伎」第1〜175号(発行:歌舞伎発行所/明治33年1月〜大正4年1月)を全49冊に合本、専門研究者による解説巻を付す。

全50巻 セット本体1,470,000円+税

[別売可]『「歌舞伎」解説・総目次・執筆者索引』
 宗像和重・今岡謙太郎 解説 菊判 上製 300頁 本体15,000円+税

第29号 男之助の隈取を鏑木清方が描いた表紙。逍遙の「脚本鑑定書」、伊原青々園の「西洋の興行権について」、島村抱月「倫敦より」など。

第7期 第163号〜第175号(大正3〜大正4年1月終刊)
菊判 上製 全5巻+解説巻 ISBN 978-4-8419-0562-5(set)
本体150,000円+税
 

○ 歌舞伎のみならず、ひろく演劇全般にわたり、劇界の指導的役割をつとめた雑誌。

○ 俳優の回顧談や古名優の伝記、江戸時代の演劇書の翻刻など、貴重資料を残す。
なかでも歌舞伎の型の記録に力を注ぎ、古典劇演出の伝統保持に大きな功績があった。

○ 歌舞伎にとどまらず新演劇や外国劇の動向に関心を示し、また海外の演劇情報を発信。

○ 新作の舞台に対して俳優の談話や識者の批評を掲載して評論。

○ 泰西戯曲の翻訳や、新人の創作戯曲に発表の場を提供した。

河竹登志夫(早稲田大学名誉教授)父祖四代にわたる雑誌「歌舞伎」の恩恵
紅野敏郎(早稲田大学名誉教授)推薦 演劇雑誌「歌舞伎」のもつ意味

書評 矢内賢二(立正大学准教授)宝の山とも言うべき演劇雑誌が人名索引付きで全巻復刻

刊行内容
第1期
2010年2月
第1-43号(明治33年1月創刊〜36年12月)
ISBN 978-4-8419-0538-0
全7巻
本体210,000円+税
既刊
第2期
2010年8月
第44-68号(明治37年1月〜38年12月)
ISBN 978-4-8419-0557-1
全6巻
本体180,000円+税
既刊
第3期
2011年2月
第69-92号(明治39年1月〜40年12月)
ISBN 978-4-8419-0558-8
全8巻
本体240,000円+税 既刊
第4期
2011年7月
第93-113号(明治41年1月〜42年12月)
ISBN 978-4-8419-0559-5
全7巻
本体210,000円+税 既刊
第5期
2012年2月
第114-138号(明治43年1月〜44年12月)
ISBN 978-4-8419-0560-1
全8巻
本体240,000円+税 既刊
第6期
2012年6月
第139-162号(明治45年1月〜大正2年12月)
ISBN 978-4-8419-0561-8
全8巻
本体240,000円+税 既刊
第7期
2013年1月
第163-175号(大正3年1月〜大正4年1月終刊)
『「歌舞伎」解説・総目次・執筆者索引』
ISBN 978-4-8419-0562-5
全5巻+
解説巻
本体150,000円+税 既刊

※ 「日本のリトルマガジン」既刊分については、お問い合わせください。

演劇雑誌「歌舞伎」のもつ意味

紅野 敏郎

 「歌舞伎新報」(明治12〜30)にひきつづいて、この「歌舞伎」(明治33〜大正4)一七五冊、さらに「演芸画報」(明治44〜昭和18)の三誌を一貫して眺めれば、明治から大正にかけての総合的な演劇史の現場が押さえられる。とくに「歌舞伎」は、森鴎外の弟篤次郎、筆名三木竹二(「三木」は、本姓の森をわかち、本名の冠を採って名づけたもの)によって創刊され、編集も三木が主軸。歌舞伎はもとよりのことだが、当時の演劇界全体の諸状況を把握。鴎外をはじめとする多くの人の協力を得て、泰西戯曲の翻訳も掲載され、劇界の指導的役割を果たした。
 創刊号の表紙の字は尾崎紅葉。歌舞伎の原点というべき阿国歌舞伎を示す絵の意匠は、中村不折が担当した。劇評と評論と考証を三本柱として、新富座、春木座、真砂座、市村座などの劇場上演の細評を、三木竹二・竹の屋主人(饗庭篁村)・大槻如電・伊原青々園・幸堂得知らが分担して寄稿。論説は春のや主人(坪内逍遙)、史伝は西田菫坡が担当。第2号より劇評、合評という新形式を導入、彼らのほかに右田寅彦・鈴木春浦・川尻清潭・鏑木清方・条野採菊らが時に応じて加わり、脚本、演出、演技などについて、然るべき発言をしている。それがこの「歌舞伎」誌上の伝統としてながらく続けられた。
 三木竹二は、東京帝国大学医科大学(のちの東大医学部)を卒業し、助手を経て、日本橋蠣殼町に内科医を開業。学生時代から役者評判記や錦絵などを集め、「歌舞伎新報」に劇評を連載、また兄鴎外主宰の「しがらみ草紙」にも寄稿。妻久子(筆名真如)も、芝居好きの家庭に生れ、女形の観察にすぐれ、「歌舞伎」のもうひとつの柱ともいうべき芝居の型の記録に協力した。団十郎や菊五郎の没後は、青々園らとともに劇談会を組織し、俳優も参加して、「寺子屋」や「忠臣蔵」などの型の保存、記録に力を傾けた。川尻清潭・鈴木春浦・杉贋阿弥らや人形遣いの吉田国五郎までこれに加わった。古典演劇演出の伝統保存の実態が、この「歌舞伎」誌上よりうかがえる。
 歌舞伎のみならず、新傾向の演劇、泰西戯曲にも強い関心を示し、川上音二郎の「オセロ」「マーチャント・オブ・ヱ・ニス」、鴎外の「玉匣両浦嶋」「日蓮上人辻説法」、逍遥の「桐一葉」などの上演については、多くの人の批評、当事者の談話なども掲載。やがて付録のかたちで長谷川時雨・川村花菱・北原白秋などの創作戯曲も載るようになった。イプセン作、千葉掬香訳の「建築師」はじめ、メーテルリンク、ストリンドベルグ、ワイルドなどの翻訳も掲載、鴎外は「ギヨウテ」を連載。舞台写真も多く、画報的要素と資料的要素を兼備。三木は明治42年1月10日に死去、そこで「歌舞伎」は百号記念と三木の追善をあわせた特集を編んだ。三木の遺稿「伊勢音頭の話」の写真をトップに、饗庭篁村・高安月郊・山崎紫紅・喜多村緑郎・関根默庵・田村成義・森久子の追悼文をはじめ、パリにいた上田敏の鴎外宛書簡、小杉天外らの手紙、平野万里の短歌なども掲載。西田菫坡は「芝居好きまた見巧者と今はたゞをしむばかりの評判記なり」の一首を手向けている。この特集号から三木の存在の大きさが伝わってくる。伊原青々園は「早稲田文学」や「新小説」などにも三木の死を悼んだ文を書き、その後は彼が編集の中心となった。

(早稲田大学名誉教授)

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