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■ 個人の語りが拓く歴史の新たな地平

東京大学大学院総合文化研究科  石田 勇治 教授

 ドイツ現代史に関する数多くの史料群のなかで、今回デジタル化された「クレンペラーの日記(1918-1959)」は特別な位置を占めている。それはホロコーストを辛くも生き延びたユダヤ人学者の私的な記録―エゴ・ドキュメント―であると同時に、自身が目の当たりにしたドイツ社会の移り行きを、まるでクロノロジストのような筆致で精確に書き記した珠玉のテクスト・史料集だからである。

 ユダヤ教ラビを父にもつクレンペラーは、自らの意思でプロテスタントに改宗した。ミュンヘン、ジェネーヴ、パリ、ベルリンの各大学に学んだ後、ドレスデン工科大学仏文学教授に就任したが、ヒトラー政権下で再びユダヤ人とされて職を追われた。クレンペラーは「アーリア人」の妻を頼りに、また日記を書き続けることを支えとして迫害に耐えた。

 ナチ時代の日記には、日々の消息に加えて、ヒトラー政権下でドイツ語の語彙や言語表現が様変わりする様子が克明に記されている。戦後刊行されたクレンペラーの傑作『第三帝国の言語』(法政大学出版局)によれば、ヒトラー演説の中身が大衆を捉えたのではなかった。むしろ、ひとつひとつの言葉、言い回し、文型を通じて、ナチズムが「大衆の血と肉に自然に入り込んだ」のである。言語は思考と感情を支配する。それは「ごく僅かの砒素の一服」のようで、無意識に呑み込まれ、最初は何の効き目もないように見えるが、やがて「その毒性」は現れるのである。

 自身を破滅の淵に追いやったナチズムの体験は、戦後の東ドイツでクレンペラーが共産主義の理想へ傾く契機となった。だがそこで目の当たりにしたものは、理想からかけ離れた独裁の現実だった。戦後の日記には「第三帝国の言語」は継続していると記されている。こうしてクレンペラーはもうひとつの独裁の下で新たな語彙、言語表現を蒐集し、言葉が人の思考と感情を規定し、社会を変える様子を描き続けたのである。

  従来ドイツ内外で編集刊行された「クレンペラーの日記」は、どれも大幅な省略・割愛を余儀なくされている。日本語で読めるクレンペラー『私は証言する―ナチ時代の日記』(大月書店)も抄録版の翻訳である。今回のデジタル版には、これまで日の目をみなかった夥しい数のテクストを含めてクレンペラーの遺した日記の全文が収録されている。

 ドイツ現代史研究、ホロコースト研究者にとって垂涎のドキュメントであるが、個人の語りが拓く歴史の新たな地平に関心を寄せる多くの研究者―歴史学(西洋史)、文学、言語学、社会学、教育学、政治学など―にとっても示唆に富む史料となるだろう。キーワード・人名検索も可能であり、利用者のアイデア次第で思わぬ発見が期待できよう。